太宰府天満宮(福岡県)新緑の頃
太宰府天満宮 新緑の頃
太宰府天満宮は菅原道真公の墓所の上に社殿を造営し、その御霊を祀る神社。「学問・至誠・厄除けの神様」として崇敬を集めている。福岡県太宰府市にあり全国天満宮の総本宮。
久々に福岡を訪ねたので太宰府天満宮に、前回訪れたのは平成23年(2011年)の梅の時季。今回は新緑の時季であったが、天気は雨(前回も雨・・)、傘をさしての参拝となった。
平日の朝9時前、まだ店が開かない時間にもかかわらず多くの観光客、韓国語が飛び交っていた。

鳥居の先の人だかりは、この先にある「御神牛」に触れるための行列、前回訪問時はこんなことはなく、普通に触って写真を撮った・・今回はパス。
参道の途中にある池には新緑とつつじ。

参道を進み、鳥居の向こうは楼門。

鳥居を過ぎた左側では、修学旅行生が写真撮影。

さて楼門を抜けて境内へ・・と、屋根が雑木林状態の建物が・・。

桃山時代の造営と云われる「本殿」は令和の大改修中で、仮殿が設置されているらしい。鎮守の杜の豊かな自然がモチーフで、周囲の景観とも調和したデザイン?とか。

違和感しかない・・自然がモチーフというが、不自然な感じが拭えない・・。
かわいそうな「飛梅」は仮殿の後ろに。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)

「東風ふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
菅原道真は承和12年(845年)京都生まれ、学者・政治家として活躍、右大臣となるが昌泰4年(901年)朝廷内の陰謀により太宰府に左遷され、延喜3年(903年)同地で死去した。「飛梅」は、太宰府へ赴くため都を発つ道真が歌を詠んだ庭の梅が、やがて都から飛んできたというお話である。
「楼門」 (Shutterstock my portfolioに掲載)

道真公の曽孫、菅原輔正によって造営、幾度かの焼失があり、現在の楼門は、大正3年(1914年)に再建されたもの。
楼門の入り口の左に「御神牛」がいる。ここは、並んでいないので触って撮影。

皆んなに触られて、鼻やツノはピッカピカ・・。
太宰府天満宮付近地図
太宰府天満宮は西鉄太宰府駅を降りるとすぐに参道入口、参拝は梅ヶ枝餅を食べてから・・我が家は「茶房きくち」がお勧め。
(2024年4月下旬 撮影機材 Nikon Zfc)
関連ブログ:太宰府天満宮
太宰府天満宮は菅原道真公の墓所の上に社殿を造営し、その御霊を祀る神社。「学問・至誠・厄除けの神様」として崇敬を集めている。福岡県太宰府市にあり全国天満宮の総本宮。
久々に福岡を訪ねたので太宰府天満宮に、前回訪れたのは平成23年(2011年)の梅の時季。今回は新緑の時季であったが、天気は雨(前回も雨・・)、傘をさしての参拝となった。
平日の朝9時前、まだ店が開かない時間にもかかわらず多くの観光客、韓国語が飛び交っていた。

鳥居の先の人だかりは、この先にある「御神牛」に触れるための行列、前回訪問時はこんなことはなく、普通に触って写真を撮った・・今回はパス。
参道の途中にある池には新緑とつつじ。

参道を進み、鳥居の向こうは楼門。

鳥居を過ぎた左側では、修学旅行生が写真撮影。

さて楼門を抜けて境内へ・・と、屋根が雑木林状態の建物が・・。

桃山時代の造営と云われる「本殿」は令和の大改修中で、仮殿が設置されているらしい。鎮守の杜の豊かな自然がモチーフで、周囲の景観とも調和したデザイン?とか。

違和感しかない・・自然がモチーフというが、不自然な感じが拭えない・・。
かわいそうな「飛梅」は仮殿の後ろに。 (Adobe Stock my portfolioに掲載)

「東風ふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
菅原道真は承和12年(845年)京都生まれ、学者・政治家として活躍、右大臣となるが昌泰4年(901年)朝廷内の陰謀により太宰府に左遷され、延喜3年(903年)同地で死去した。「飛梅」は、太宰府へ赴くため都を発つ道真が歌を詠んだ庭の梅が、やがて都から飛んできたというお話である。
「楼門」 (Shutterstock my portfolioに掲載)

道真公の曽孫、菅原輔正によって造営、幾度かの焼失があり、現在の楼門は、大正3年(1914年)に再建されたもの。
楼門の入り口の左に「御神牛」がいる。ここは、並んでいないので触って撮影。

皆んなに触られて、鼻やツノはピッカピカ・・。
(c)ikeyama - 画像素材 PIXTA -
太宰府天満宮付近地図
太宰府天満宮は西鉄太宰府駅を降りるとすぐに参道入口、参拝は梅ヶ枝餅を食べてから・・我が家は「茶房きくち」がお勧め。
(2024年4月下旬 撮影機材 Nikon Zfc)
関連ブログ:太宰府天満宮
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