予科練平和記念館(茨城県)零戦21型

予科練平和記念館の零戦
「予科練平和記念館」は茨城県稲敷郡阿見町にある予科練の歴史を伝える記念館。近辺は旧海軍の霞ヶ浦海軍航空隊と第一海軍航空廠があった所、現在は陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地が隣接している。ここに平成27年(2015年)から旧海軍零式艦上戦闘機21型の実物大模型が展示されている。

零式艦上戦闘機21型(A6M2b)実物大模型。
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「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、昭和5年(1930年)横須賀海軍航空隊から始まり、昭和14年(1939年)には霞ヶ浦海軍航空隊に移転、翌年には予科練教育を専門とする土浦海軍航空隊が設置された。

零戦の展示は記念館開館日、平日は格納庫にて、日曜・祝日は屋外での展示となる。
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ここ茨城県阿見町では、大戦末期(昭和19〜20年)に中島飛行機が零戦を製造していたと云う。戦闘機の生産増強のため、第一海軍航空廠の格納庫を中島飛行機の工場として使用したらしい。

実物大零戦模型のスピナー形状も「中島製」を模したと見受けられる。
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予科練平和記念館には当時の写真が数多く展示されている。非常に迫力のある写真で感心していたら、撮影者は「土門拳」であった。

大戦末期の特攻は土浦海軍航空隊を中心として隊が編成されたらしく、海軍における特攻戦死者の7割が予科練出身ということである。記念館にある若き特攻隊員の遺書には涙を禁じ得ない。いやいやながらついてきた妻も感じ入ったようである、二児の母だからね・・。

予科練平和記念館に隣接して「雄翔園」というのがある。予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿を納めた「予科練の碑」(予科練二人像)を正面にみる霊園である。     (Adobe Stock my portfolioに掲載)
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「若鷲の歌」が聞こえてきそうだ、”若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨〜”・・合掌。

予科練平和記念館付近地図


(2018年8月下旬 撮影機材 Nikon1 J5)

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